群馬県立歴史博物館・綿貫観音山古墳、かみつけの里博物館・保渡田八幡塚古墳
2024年11月23日(土)勤労感謝の日
群馬県立歴史博物館
第111回企画展「弥生人は二度死ぬ」ポスター掲示
再葬墓ってなに? 群馬県立歴史博物館
群馬の森駐車場 11:08
群馬の森鷺橋 11:08
群馬の森 催し物開催中
群馬の森
「巨きな馬」 アントワーヌ・ブールデル 11:10
群馬県立近代美術館、群馬県立歴史博物館 11:11
群馬県立歴史博物館 11:12
群馬県立歴史博物館 11:12
群馬県立歴史博物館 入館料300円
祭礼場面の埴輪
左:国宝・埴輪(あぐらを組み合掌する男子)
中央:国宝・埴輪(連座する三人童女)
右:国宝・埴輪(祭具を捧げ持ち正座する女子)
右端:国宝・埴輪(皮袋を捧げ持つ女子)
王と巫女が対座し、その間で3人の巫女が弦をつま弾く様子。
国宝・埴輪(皮袋を捧げ持つ女子)
埴輪群像(祭礼場面)説明板 11:18
家形埴輪 切妻造家 古墳時代・5世紀前半 白石稲荷山古墳
東京国立博物館蔵
埴輪 盛装の男子
馬形埴輪
埴輪群像(馬列) 馬形埴輪と馬曳きの男子埴輪
埴輪展示 11:20
国宝・銅水瓶(どうすいびょう) 古墳時代・6世紀 観音山古墳
日本最古の銅水瓶、大陸からの舶載品、法隆寺に類似品が伝世している。
綿貫観音山古墳 説明
綿貫観音山古墳 説明
綿貫観音山古墳 説明
国宝・突起付き冑(異形冑) 古墳時代・6世紀 観音山古墳
文化庁蔵 群馬県立歴史博物館保管
現品は奈良県橿原考古学研究所附属博物館に貸出中
副葬品
金銅製半球形飾金具、耳環(金環)、耳環(銀環)、銀地渡金空玉、ガラス製小玉
副葬品 獣帯鏡
副葬品 装身具 金銅製鈴付き大帯
籠手(こて)
脛当(すねあて)
鉄製武器
鉄製鑣轡(ひょうぐつわ)
金銅製歩揺付飾金具
馬具 鐙
副葬品 蓋杯、高杯、椀など
副葬品 土器
国宝・須恵器 横瓶(よこべ)
常設展示場 11:28
観音山古墳説明
観音山古墳説明
相澤忠洋と岩宿遺跡 遊動する旧石器人
石器
石器
石器
石器
石器
骨角器
石製垂飾品(ペンダント)
国指定重要文化財 土製耳飾
縄文時代晩期・約2,800年前 千綱谷戸遺跡(桐生市川内町)
国指定重要文化財 土製耳飾
縄文時代晩期・約2,800年前 千綱谷戸遺跡(桐生市川内町)
太田市指定重要文化財 注口土器
縄文時代後期・約4千年前 新屋敷前遺跡(太田市新田大根町)
国指定重要文化財 岩板
縄文時代晩期・約2,500年前 北米岡遺跡(伊勢崎市境米岡)
渦巻文と工字文と呼ばれる文様が刻まれている。
石槍
縄文時代前期・約6~7千年前 黒熊第5遺跡(高崎市吉井町黒熊)
高崎市指定重要文化財 ヒスイ(硬玉)製大珠
縄文時代中期・約5千年前 高崎情報団地Ⅱ遺跡(高崎市大類町)
「の」の字状石製品
縄文時代前期・約6~7千年前 白石大御堂遺跡(藤岡市白石)
石製垂飾
縄文時代前期・約6~7千年前 大上遺跡(伊勢崎市上田町)
縄文土器など
有孔浅鉢
縄文時代前期・約6~7千年前 中野谷松原遺跡(安中市中野谷)
縄文時代前期・約6~7千年前 糸井宮前遺跡(利根郡昭和村糸井)
右:深鉢 縄文時代草創期 白井北中道遺跡(渋川市白井)
縄文時代の交流
ふかばち縄文時代晩期・約3千年前 谷地遺跡(藤岡市中栗須)
土偶
独鈷状石斧、独鈷石、岩版
石棒
縄文時代前期のムラを復元
背景は妙義山
中野谷松原ムラ
中央の広場を囲むように大型建物や竪穴住居が並んでいる。
再葬墓の時代
一度土に埋めるなどした遺骨を土器に入れて、再び土中に埋葬する再葬墓がつくられた。
再葬墓 先祖をまつる
稲作の開始と暮らしの変化
3世紀後の水田跡を掘る
弥生時代、古墳時代の壺や甕
川井稲荷山古墳の三角縁神獣鏡
舟形製品と水運
寺山古墳(太田市)全長60m 前方後円墳 古墳時代初期(4世紀初頭)
石田川式土器と平野の開発
古墳時代前期の大型水路
前橋天神山古墳の副葬品
三角縁神獣鏡、石製紡錘車、銅鏃など
馬を飼うムラの仕組み復元
榛名山の大噴火で山麓のムラが埋もれた。
黒井峰遺跡や西組遺跡では、火山灰や軽石を取り除くと、
被災直後の住居や家畜小屋が姿を現した。
金井東裏遺跡 古代人、よみがえる
海を渡って来た馬文化 馬がもたらす革命
5世紀に入りヤマト王権が通信と運輸、軍事力などを充実するため海の向こうの朝鮮半島から馬を取り寄せた。5世紀後半には上毛野地域でも馬の飼育が始まった。
上毛野の勢力とヤマト王権との関係が深くなり、上毛野地域は馬の一大生産地となった。
馬文化と内陸ルート 古東山道
後期古墳の成立
横穴式石室から後期古墳の展開
古墳から寺院へ 上毛野氏と東国
寺院の建立
寺院の瓦など
上野国と寺院
国府における元日朝賀想像図、郡家正倉への租の納入想像図
上野国分寺の建立
天平13年(741)、聖武天皇は国ごとに僧寺と尼寺を建立する詔を出した。
山上多重塔
法華経を安置した。
山上碑
金井沢碑
古代の人々のくらし
国ー群ー里(郷)のもと、戸籍・計帳によって国家によって把握された。
里は50戸で構成され、里長が人々の労働・日常生活・租税納入などの指導をしていた。
都と東北を結ぶ道 古代のハイウェイー 東山道駅路と上野国
平安時代の不安 傾きかけた社会 上野国交替実録帳の世界
8世紀後半から9世紀前半にかけて、蝦夷との戦闘で上野国にも負担を強いられた。
最澄や空海がもたらした仏教信仰(密教)も広まり、平将門の乱も発生して、社会は乱れ、律令に基ずく政治も形骸化していった。
上野国交替実録帳と考古学調査
長元3年(1030)に上野国の国司交替に際して作成された史料で、
上野国の社寺の資材、国府や郡家の施設、国府で管理する戸籍や田図などの破損や無実の状況を記している。1000年前の県政白書である。
武士団の登場
上野国では、天仁元年(1108)浅間山の大噴火をきっかけに、
復興に活躍したのは武士団であった。
火山災害と水田の復興 天地返し
石に込められた仏への願い
災害からの復興と信仰
石造物のデパート
仁治の碑、新田庄の天神山凝灰岩
鎌倉・南北朝時代の石材流通
仁治の碑
伝新田義貞倚像
宋朝禅師倚像
普光庵出土蔵骨器(古瀬戸瓶子)
阿弥陀如来像 鎌倉時代後期・弘長元年(1261)製作
太平記絵巻
新田氏から上杉氏へ
元弘3年(1333)新田義貞挙兵、鎌倉幕府滅亡、
南朝についた義貞は北朝の足利尊氏に敗れ戦死。
尊氏は上野国の守護に上杉氏を任命。
上杉氏は関東管領となるが15世紀になると鎌倉公方と対立、
享徳3年(1454)享徳の乱が始まり合戦が続いた。
長尾景中 長尾憲明寄進梵鐘
享徳の乱(1454-82) 関東の30年戦争
鎌倉公方と京都将軍の対立の最終局面
碁盤(伝上杉顕定所有)
中世の旅人たち
中世の上州ブランド 絹、砥石、兜
六十二間小星兜の構造
六十二間小星兜、雪下胴具足
力田遺愛碑
天狗岩用水と秋元長朝
群馬県立歴史博物館展示室
天明の飢饉と火山災害 天明3年浅間山大噴火
富岡製糸所場のあゆみ
戦後復興のシンボル
中島飛行機、地域と軍事施設
群馬交響楽団
昭和のくらし
昭和のくらし
昭和のくらし
古墳群の埴輪
古墳群の埴輪
玉飾りをつけた大刀
馬子と飾り馬
椅子に座る主人と跪く従者
儀礼に臨む巫女
はにわ研究所
群馬県立歴史博物館中庭
群馬県立歴史博物館中庭
群馬県立歴史博物館展示室
かみつけの里博物館・保渡田八幡塚古墳
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